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「失われた30年は今のままの教育で取り戻せるのか」

以下の記事は50年前に発刊された雑誌(リーダーズダイジェスト)より抜粋したものです。

50年経った今でも日本の教育は変わっていないのではないか、この記事がつい最近だされた記事と言われてもおかしくない内容でとても驚きました。

昭和48年6月1日の早朝、静岡県浜松市の英語塾のK先生(当時29歳)が自殺した。中学校の英語の先生や父母たちから、塾の指導方針を問題にされたのを苦にしての自殺だった。塾を開いたのは昭和44年。高校受験のための英語を否定し、”いつでも、どこででも役に立つ英語”を教えることに情熱を燃やす、熱心な先生で子供たちにも好評だった。ところが中学校の先生たちから横やりがはいった。“学校と違った英語”を教えられては困るというのである。先生たちとK先生の間で議論がたたかわされた。なかにはK先生の方針を支持する先生もあったが、ほとんどは「現在の中学校では高校受験のための教育が正常」という意見だった。父母の間でも「英語が話せるようになるのはうれしいが、今は高校に合格する英語を教えてほしい」という声が強かった。こうしてK先生は追いつめられ、ノイローゼになったものらしい。K先生の自殺が毎日新聞に報じられると、各地から投書が寄せられた。ほとんどはK先生を支持する投書だった。以下にその一部を紹介しよう。ただ目先の高校受験だけを考え、子供たちがK先生におそわった英語で、将来どれだけ助かるかということを考えなかった、心の狭い中学校教師や父母たちが、一人の若い教師の情熱を奪ってしまったことは残念でならない。そして、もう一つ。父母たちが、K先生の人間性を慕っていた子供たちの心を見落としていたことは、英語教育という問題以前に考えなければならない、重要なことであったのではないだろうか。浜松で英語を教えている先生が自殺したという記事はショックでした。彼もそういう矛盾の大きな圧力のため無残に打ち砕かれてしまったのです。でも悲劇はそれだけではありません。テストのためだけだとわかっていても、そんな英語を教えている教師、それを習っている生徒。そうせざるをえない生徒を持つ親。そしてそういう教育しかできない日本の教育制度こそ悲劇です。

(編集部と外国人記者との対談)

学校における英語教育は、果たして現状のままでいいのかどうか?本来の語学学習と受験英語がめでたく平和共存しているのではなく、後者が前者をゆがめてしまっているわけです。これは英語にとってもはなはだ迷惑なことだと思います。語学学習の本当の目的は、やはりその言葉を使う国の人々とのコミュニケーション。広い世界にはこんな考え方をする人々もいるのかという目のさめるような発見、今まで知らなかった世界を知るという鮮烈な喜び、それが外国語を学ぶことの本当の報い。ところが日本ではまず第一に、教育熱心なママたち自身が英語ができない。したがって、英語力を身につけた場合のおもしろさを子供たちに語れない。そこで、「英語を勉強しないと大学へはいれませんよ」というような、言ってみればネガティブな発想しか出てこないわけです。本当のおもしろさを初めから否定してしまっていることになります。現在の日本では、英語教育に限らず、教育全体が受験のためのものになりすぎています。これが根本の問題です。これはよく言われることですが、欧米の大学は入るのは比較的簡単なんです。そのかわり卒業するのがむずかしい。大学はだれでも入れなければならないという建前がありますから、標準以下の学生まで入れてしまう。そのかわり、入学後の教育はきびしく、四年たって卒業するころには五〇パーセント近くはふるい落とされています。ところが日本では、一度入学試験をパスさえすれば、たいして勉強しなくてもたいていの学生が卒業できる。それが名門校であれば、一流会社へ入るパスポートがもらえることになる。いわば、一度の入試でその学生の人生が左右されてしまうわけです。だからすべての人が、入学試験に対して神経質になりすぎる。子供を名門校に入れたいという先生や親たちのエゴイズム。子供たちのなかにもあったかもしれないエゴイズム。そういうものを見せつけられて、K先生は絶望的な気持になったのでしょう。外国語を学ぶことの本当の楽しさを知っている人が、今の受験英語の実態を見たら絶望しかねません。要するに根底にあるのは、一流大学を出て一流企業に就職して、一生を安穏無事に送りたいという欲求だけなんですから。今まではそれでもよかったでしょう。しかしこれからの社会は、今までとは比べものにならないくらいのスピードで変化するでしょうから、“親の理想”が今後ともそのまま“理想”でありうるかどうかは大いに疑問です。これから20年なり30年なり先の世の中がどうなるかは、おそらくだれにも見通せないことでしょう。現在の親たちの理想は、完全に過去の遺物と化しているかもしれません。そんなものを子供におしつけるのは、残酷でもあり無慈悲でもあるわけです。社会が激しく変化しても、それに対応できる人間に育てることこそが大事なわけです。そのためには、子供に何をしてやるのが一番よいかを考えなくてはいけないでしょう。出世欲とかエゴイズムを基調としたままで教育が続けられると、“日本さえ繁栄すれば、他の国はどうなっても構わない”という国民ができあがる危険もあります。エデュケーション(教育)の語源はラテン語の educareで、これは”導く”という意味。導くためには当然目標なり理想なりが必要なわけですが、どうも今の日本を見ていると、玩物喪志とでも言いますか、理想がない。物がすべて、お金がすべてというのでは、もはや理想の名に値しません。受験英語という問題一つ取ってみても、人間は何のために生きるかという根本の問題に立ちかえる必要があるわけです。そこから出発し直さなければ、語学教育を外国人とのコミュニケーションという本来の目的に添ったものにすることさえできないでしょう。教育とは本来、人間の心を豊かにし、人間を大きく育てるためのものなのに、現状では語学教育のみならず、日本の教育全般にその肝心な点が大落しているのではないかと思えます。                         (リーダーズダイジェスト1974年2月号より一部抜粋、改稿)

 こちらの内容では高校受験の内容となっていますが、今では東京都内で激化する中学受験、中高一貫に通い大学受験のための授業カリキュラム。

何のために学校へ行き誰のために受験をし、今でも変わらない一流企業への就職という理想。

これだけ変化が激しい時代と言われても今もなお変わらない教育、ネット社会により強化されたブランド思考。

こちらにも書いてある通り50年経った今でも“日本の大学は一度入学試験をパスさえすれば、たいして勉強しなくてもたいていの学生が卒業できる。それが名門校であれば、一流会社へ入るパスポートがもらえることになる。いわば、一度の入試でその学生の人生が左右されてしまうわけです。“

だからこそ50年も変わらずこういった状況が続いており、そして大きな失敗もなく自分が大学を出て会社に就職するという道を歩んできたからこそ、自分の子供にも同じ道であれば教えることができる、大きな失敗もない安定した会社員という道を歩ませることはできるかもしれませんが、50年前と変わらない大学の道を歩ませるべきなのか、激化した中学受験に参入すべきなのか、答えは人それぞれかもしれませんが過剰な子供への教育投資は少し考える余地があるように思います。

50年前と変わったことは、SNSの過剰なまでの発展。中学受験なんて調べたら自分の子供と同じぐらいの子が毎日机に向かって勉強している状況がすぐに目に入ってくる。中学受験するなら公文の〇〇教材までは必須、トップクラス問題集をやり込む、入れたい塾のために幼稚園からお金を費やすなどなど細かいことを言えばキリがありませんが、本当か嘘かわからない情報がSNS上には溢れています。そんなSNS上の情報を見ていると我が子と比べて世の中の子はどうなってるの!?という驚きと焦りの世界が満載…これ何を隠そう実は私の実体験です。そもそも小学校受験も考えていたぐらいで結局は長男を中学受験のために小4で塾に入れた1人。

SNSがある今の時代は周りの目を気にし、周りが“よく“見えてしまうからこそ見えるものを真似る。

本当に恐ろしい時代です。そしてなんといっても自分が1番恐ろしい。

こんなブログを書いている私こそ、自分で考え情報を分析し不要なものを捨て自分自身が変わり行動を起こさないといけない時代。

大人が考えを変えなければ、子供たちの未来を変えることができない。

そのため今では中学受験を無理にしなくてもいいと思うようになっています。

我が子や周りの子を見ていると中学受験は本当に向き不向きがあるのに親のエゴでやらせてしまっている。

塾の保護者会はパパから言わせると、これなんかの宗教?と言われました笑

そしてなんといっても親の私からみると我が子は中学受験にあまり向いていない。

そこで私がここまで子供にやらせてきてしまったので、2人でお出かけしスタバでゆっくりフラペチーノを飲みながら子供と今後について話してみました。

子供にやってみたいことをノートに書いてみてもらったり、これを実現するために中学受験は必要か話し合って見ました。

結論、高校受験のほうが大変そうだし高校受験したくないから中学受験する!と言われました。

しかしこの高校受験が大変そうという言葉も数年前に私が中学受験をさせるために高校受験はテストだけじゃなく成績表なども評価されるから普段の授業態度とかも見られるよ、中学から高校まで一貫高に行ったほうが楽だし大学受験に向けて勉強できるよなど適当に言っていたことを覚えておりそれも影響していました。

子供たちが生まれてから子供に対する教育にとても興味を持ち、絵本の読み聞かせから始まり、モンテッソーリ、七田、くもん、ディズニー英語教材など教育でいいと言われることは様々取り入れていました。

しかし子供が3人いながら近くに自分の親がいるわけでもなくフルタイムで働いていると、続けること子供にやらせることが本当に大変で続かないものも多く、男の子3人が机に良い子に座っていられるわけもなく、毎朝日課のくもんをやらせるだけで一苦労…めちゃくちゃキレてました。

それでも子供の教育に関してはいわゆる教育ママ要素満載でここまできましたが、まさかの自分を振り返る時間を持つ中で私の考えが完全に変わりました。

今の自分が世に言う正解と言われるような道をなんとなく歩んできて、今自分のやりたいことってなんだろうとかなり悩み答えがないまま仕事をしているからこそ、子供たちには自分たちがやりたいこと、才能や特技、自分のいいところを活かして将来仕事をして欲しいと思うようになったのです。

だからこそ中学受験を無理してやらなくてもいいという思いから子供との時間を作りました。

今まで正解とされてきた大学までいき企業に勤める流れだけではなく、自分のやりたいこと、できることを一生懸命やり誰かのためだったり、楽しく人生を送っている人が多い時代となりそれをSNSでみることができ、身近に感じることができる時代となった今だからこそ我が子には自由に楽しく生きて欲しいと思います。

最後に子供たちを見ていると今の大人よりもYouTubeでいろんな世界を見ているせいか、子供たちの多様性に驚かされることが多々あります。私たちが子供の頃であればいじめられていたような行動や格好などをしても受け入れてもらえる時代に少しずつ変わっているように思います。

私の中では日本の将来を考えると公教育などもっともっと時代に合わせて変革していくべきではないかと思います。今でもみんなが一斉に席に座り同じことをしていては、変化の激しい時代では取り残される日本になっていくのではないかと思います。

そんな私も小学校から会社員までのthe日本人あるあるエスカレーターに乗り今もなお降りることはできていない1人ですが…Life Changeします!

It’s Time to Start

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